そのアドバイスは誰のため?自分の考えを押し付けないで相手と向き合うために。
アドバイスなの?自己満足なの?
幼稚園でひとりで担任しているとあまり気が付かないですが、加配の先生やフリーの先生に手伝ってもらう場合「もう少しこうやって動いてほしいのに・・・」なんて思うことが時々あります。
そんな時自分の方が年齢や立場が上なら言いやすいけれど、相手の方が経験もあり歳も上だと言いづらいですね。
でも担任の先生は相手がどんな立場の人であっても、クラスの運営は担任の責任です。
「こういう時はこういうサポートに回ってくれると助かります」
「こういう考えで保育をしているのでご理解ください」
子どものため、クラス運営のために伝えるべきことはきちんと伝えて理解してもらいましょう。
それは自分の都合で相手を動かそうとしている「自分のため」なのか、「仕事上どうしても必要」なのか「相手のため」なのか。
「自分のため」であればアドバイスではありませんね。
「相手のため」「仕事上どうしても必要」であれば、きちんと精査して伝えるべきことだけをシンプルに伝えましょう。
それは正しいアドバイスです。
厄介なのはそれが「誰のため」のアドバイスなのかが分からなくなってしまう場合です。
人は「誰かのため」という大義名分があれば簡単に人を攻撃します。
大人しいお母さんでも我が子が不利益を被りそうになれば攻撃に転じてくる場合もあります。
そして他人の価値観というフィルターを通すことで論点がぼやけた正しくないアドバイスが生まれます。
中には保護者同士で「あの家は子どもも親も非常識。みんな言ってるから注意する」というケースもありました。
この「みんな言ってる」という言葉は私が思うに最強ではなく「諸刃の剣」なのです。
もともと言わないと気が済まないタイプの人は「言えなくて困っている人」が助けを求めていると思うと余計に攻撃性が強くなります。
そしてやたらと攻撃性だけが強くなった言葉は不必要に相手を傷つけるばかりでなく、言った側の品格まで傷つけるのです。
これこそ「諸刃の剣」の呪いです。
陰に隠れている人は何のダメージも受けないのに「誰かのため」と思い代表して言った人はもしかするとモンペ扱いかクレーマ。
そんな構図は世の中でたくさん目にしますね。
大切なのはそれは自分の課題なのか他人の課題なのかを線引きすること。
自分で伝えるべきことは人任せにせず、誠意を持って相手に伝える。
ということかな、と私は思います。
読んでいただきありがとうございました。