インクルーシブ教育の現実。私たちができることって何だろう。
幼児教育の理想と現実
インクルーシブ教育と教育現場の理解
インクルーシブ教育には障害の有無にかかわらずその人に合った環境で学べるように配慮を受けられることが必要です。でも実際は幼児教育の現場で「可能である」と言い切れる園がどれだけあるのでしょうか。例えば発達に遅れのある子自分のクラスにいた場合、ほかの他の園児と同じ活動をするために加配の教員が必要となります。でも加配の教員を付けることに難色を示す経営陣が多いことが現実です。いくら県からの補助金が出るとしても人件費で赤字になってしまうからです。担任ひとりでクラスをまとめて、その子のケアでは現場としては「無理です」と言わざるを得ません。そうなると障害を持つ子は行き場を失ってしまいます。
実際にほかの園の主任の先生と障害児の受け入れについて話していたところ「然るべき機関で見てもらった方がその子も幸せですよね。」とおっしゃっていました。もちろん療育が必要な子もいますし、仕方ないことだとは思います。大型園では特に同じ学年の他クラスと比較されがちですし、運動会のクラス対抗リレーを目前に頑張っている子どもに対して、一部の保護者が「あの子と同じクラスで損している」なんて話しているのを聞いたこともあります。でも残念なことですよね。世の中は多様化され、マイノリティだった人たちも声を上げ、認められつつあるのに・・・。
幼児期のころだからこそ、その価値観は身近にいる大人と同じものです。その大人の狭い価値観や利己主義が子どもに浸透してしまいます。だからこそ保護者はもちろん、園の主任の先生の意見として残念・・・としか言いようがありません。
なぜ同じ内容のことをする必要があるのでしょうか。幼稚園教育要領には「正確に折り紙が折れなくてはならない」と書いてはありません。「絵が上手でなければならない」とも書いてありません。いずれにせよ「表現することが楽しいと感じられる」ことや「自分なりに考える」ことなどに重きが置かれています。そう考えると達成すべき目的から大きく離れた活動を子どもたちにさせている幼児教育の実態から見直していく必要があると思います。
リレーでいつも最下位になってしまうのであれば、クラスの子ども一人一人が工夫するいい機会です。作戦を立てる子もいれば、自分自身が速く走れるように練習するかもしれません。いろんな個を認め合い、皆が力を発揮しあう環境をどうしたら作ることができるかを考える。その方が子どもの成長にも繋がるし、質の良い集団にもなります。
人としての基盤を作る大切な幼児期の教育が保育者にかかる評価のための活動になっていないか。インクルーシブ教育が騒がれている今こそ考えていきたいですね。